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2009年 サシバ調査報告 − はじめに −
昨年度に引き続き、豊田市自然観察の森一帯におけるサシバの再繁殖地化計画にもとづき、サシバの棲息状況を知るための実態調査を豊田市北東部の丘陵地において実施した。昨年度の調査で明らかになったように、かつてはサシバが棲息していた豊田市自然観察の森周辺の平野部に接する緩やかな丘陵地(鞍ヶ池公園、矢並町一帯から琴平町にかけての巴川右岸側の丘陵地一帯。以後は単に平野部丘陵地と記す)では、すでに繁殖が確認できなくなっている。 少なくとも、ほんの4〜5年前までは餌運び等が度々観察されており、繁殖活動があったことは間違いないのであるが、ここしばらくは、それも観察されていない。こうした変化は、ある程度急激であったためか、鳥類観察者の多くがこうした事実に気づく以前に、サシバはこの辺りからいなくなってしまったのである。その原因はまだ何も分かっていない。農耕地の放棄荒廃等による狩り場と餌動物の減少とが直接的に影響しているのか、あるいはまた、一時猛威をふるった松枯れ病によって、林相や植生が変わってしまった事が影響しているのか、現時点では一切原因不明なのである。たぶん単一要因などではなく、複合的な原因によって繁殖地としての適格性を失ったのであろうが、原因究明はまだ何もなされていない。 こうした状況にあるサシバを、再び平野部丘陵地に呼び戻すためには、現在のサシバの棲息状況と、その棲息環境とを調べる必要がある。好都合な事に、すぐ東側に隣接する巴川左岸側丘陵地(足助町市街地を除き、その南から岡崎市との境界付近までの巴川左岸側の丘陵地一帯。以後は単に東部丘陵地と記す)では、現在でも繁殖事例が度々報告されている。しかも、今まで一度も正確に分布や密度を調べられた形跡がない。隣接地がこうした状況である事から、ここで繁殖状況の調査を実施することによって、平野部での繁殖を放棄しつつあるサシバが、なぜ丘陵地では今でも繁殖活動を続けているのか、また、どうしたら再び平野部でも繁殖活動を再開できるようになるのかを解明する手がかりが得られやすいように思われた。高低差(標高差)の有る無し以外には、棲息環境としてはほとんど同一であるように見受けられる平野部との違いはどこにあるのか。両地域を比較対照する事によって、サシバを呼び戻すには具体的な条件として何が必要なのかも、多少は理解されるようになるのではないかと期待されるのである。 − サシバの生態と人間との関わりについて − サシバ(Butastur indicus)は、タカ目タカ科の鳥で、里山に生息する典型的な昼行性の猛禽である。ほぼハシボソガラス大のタカであるが、赤みを帯びた褐色主体の地味な色彩と、黄色い虹彩の鋭い眼光とを持っている。姿形は立派な猛禽類であるが、鳴き声がどことなく優しげであるように、その生態もあまり猛々しい感じではない。食性にもよるのであろうが、どちらかといえば、おとなしげな生態を示している。餌動物は多岐にわたり、小型哺乳類、小型鳥類、爬虫類、両生類、昆虫などを補食する。各種の蛇類にとっては天敵のような恐るべき存在でもある。昭和50年代頃までは、市街地に近い里山でもごく普通に観察できる猛禽類の一種だった。このため、かつては「まぐそだか」などという無粋なニックネームを頂戴していたほどで、これはまだ物資運送のために牛馬に荷車を牽かせていた昭和30年代末頃までの路傍に落ちていた馬糞と同じくらいに、ごくありふれた存在だった事が表現されている。また、このニックネームには、単にありふれているというだけではなく、「鷹のくせにたいして猛々しくはない」という意味で、路傍の馬糞同様、無益な存在でしかないという蔑視的な意味合いが含まれている。これは同じく昆虫を好んで補食するチョウゲンボウに対しても、地方によっては「まぐそだか」のニックネームが与えられていた事からも、同様に認識された猛禽類が他にもいた事が理解される。 このニックネームを頂戴したのは、主にこの二種類(地方によってはノスリもそう呼ばれたらしい)である事も象徴的で、こうした蔑視の裏側には、当然ながら比較の対象が存在した。それは鷹狩り用に大切に飼育された数種類のタカ類であり、威厳と気品を備えたオオタカやハヤブサと対比されたのである。鷹狩りは、かつては将軍家や大藩の大名にしかできなかった娯楽で、徳川幕府の庇護を受けて華麗に発展した。明治以降は宮内省が独占的に運営したのであるが、大変な経費がかかるため、鹿鳴館通いなどで一世を風靡したような貴族たちにも手が出せなかったらしい。オオタカもハヤブサも灰黒色と白色で統一された俊敏で美しいタカであるが、気の毒にも、これらのタカたちと比較されてしまったのである。サシバもチョウゲンボウも鷹狩りには使えない(役に立たない)し、地味だし、ありふれているという事で見下されて「まぐそ」呼ばわりされたのである。シルエットが似ているためにサシバはオオタカと、チョウゲンボウはハヤブサと比較されたものであろう。生態系上の意義を無視した上での「まぐそだか」呼ばわりは、サシバやチョウゲンボウにとっては失礼千万な呼び方であるが、昔から人々がこのような生態上の相違を的確に把握していた事の証拠でもある。 幕末の戯れ本に、江戸の庶民の間に鷹を据えて粋がる風俗が流行したという記述があるが、オオタカやハヤブサがそうした需要に応えられるほどに供給できたとは思えないので、当然ながらいつの世にも横行する「偽物」が、まことしやかに流通したのではないかと想像される。絶対数の多いサシバやチョウゲンボウが、こうした需要に秘かに当てられたのであろう事は想像に難くはなく、こうした裏面の事情(詐欺行為)が露呈するに従い、このニックネームが定着したのではないかと想像されるのである。いかにも落語にでも出て来そうな、軽薄な江戸っ子の誰かが悔しまぎれに吐いた侮蔑の言葉だと思うと、いかにもピッタリな感じに聞こえるのである。 今から50年ほども時を遡ると、里山に住んでいた少年の中にはサシバの雛を捕ってきて飼った事があるという人もいて、その体験談などの詳細を聞かされた事もあった。このように比較的人々の暮らしと身近な存在でもあった猛禽なのであるが、高度成長期を経て産業改革が進むと、自然界に目を向けるような余裕もあまりなくなったのか、片田舎の取るに足らない存在として里山そのものと共に、ほとんどの人々の認識の中から忘れ去られていったのである。 里山にはサシバの他にも、同じく昼行性で、主に鳥類を補食するオオタカが生息しており、また、夜行性で、主に温血動物を補食するフクロウが棲息している。これらと並んで、里山の鳥類としては生態系ピラミッドの頂上部を占めている。サシバは食性が多岐にわたる事からも、環境変化に対する適応能力はオオタカなどよりも高いかのように思われていた。事実、かつてはトビに次いで、里山ならどこにでもいる、ありふれた猛禽類の一種だった。人間的発想では、ある意味偏ったような食性を示すオオタカなどよりも、環境に対する適応力は強いように感じられるのである。しかし事実は逆で、市街地周辺の里山からはサシバは減少の一途をたどり、それとほぼ入れ違いにオオタカはある時期、急激に市街地周辺でその数を増した。 そのオオタカも結局、市街地付近で急増したのはほんの一時期だけで、かつては棲息していた山間部付近からは逆にいなくなってしまったのだから、本当に生息数が増えたのかどうかははっきりしていない。棲息事例だけは、開発に伴って克明に調べられているが、特定の地を選んでの長期にわたる増減などは、未だ丹念には調べられていないのが現状であろう。つい数年前までは、レッドデータブックにも記載されていなかったサシバも、その実態調査が全く進んでいない点では同様である。 今回の調査のテーマであるサシバは、産業構造の変革と共にずっと減少傾向のままである。先にも述べたように、ほんの数年前までは繁殖活動が確認されていた豊田市自然観察の森周辺でも、今はあまり姿が見られなくなってしまった。また、以前は餌運び中のサシバを観察した場合、その多くはヘビ、トカゲ、カナヘビ等の爬虫類、および各種のカエル等の両生類を運んでいる事が多かったのであるが、現在では環境の変化によって餌動物が減少したのか、昆虫類の比重が比較的多くなっているようである。 また、かつての典型的な里山の植生であったアカマツ林が、松枯れ病によって激減し、アベマキ、コナラ等の落葉広葉樹林に遷移した事も、営巣可能な樹種の減少という直接的な理由として、棲息域が減少した原因の一つではないかと想像される。この点、同じ里山の昼行性猛禽類であるオオタカが、ほとんど鳥類ばかりを補食するという、人間の目から見れば偏向した食性を示しながらも、こと営巣木に関しては、ありとあらゆる樹種を利用するのとは、環境変化に対する適応能力が根本的に異なるように思われる。 サシバは春4月、越冬地である東南アジアから帰って来ると、すぐに繁殖活動を開始する。中部地方ではほぼ桜前線到来の頃に次々に北上し、繁殖地へ帰り着く。すぐさま巣作りをしながら様々なディスプレイを繰り返し、産卵、育雛、巣立ちという繁殖の行程を慌ただしく経過し、幼鳥も立派に飛べるようになると繁殖活動を終え、すぐにまた南へ向かう季節を迎える。9月下旬から10月初旬、または中旬には再び越冬地へ向かって遠い道程の旅を始めるのである。日本での暮らしは約6ヶ月間で、こうした繁殖行動の習性は、夏鳥の一般的な様式でもあり、基本的にはツバメなどの小鳥類とあまり変わるところはない。ただ、ツバメなどと違って体が大きくて成長が遅い分、1シーズンに1回しか繁殖できない点が、小鳥類とは相違する。体格がほぼ完成すると同時に、充分な飛翔訓練等の時間的余裕もあまりないまま、幼鳥たちは慌ただしく旅立たなければならない。 翌年の4月までは日本国内の里山一帯は夏鳥のいない空き家状態となり、入れ替わりに北の地から冬鳥がやって来る。猛禽類においても、食物を昆虫類に依存する事の少ない、より俊敏な猛禽類が山から下りて来たり北の地から越冬に来て、生活の場とするのである。 − 調査地域の概要 − 先にも述べたようにサシバは現在、豊田市自然観察の森周辺ではあまり見かけなくなってしまったが、少し東側に目を移して巴川左岸側の丘陵地一帯を歩くと、今でも度々目にする事ができる。ここは標高約120m〜400mの間に集落が点在する丘陵地で、調査区域のほぼ中央部に六所山(標高611m)があり、その少し東北東側に西三河の主峰でもある炮烙山(標高683.5m)がそびえている。その南東側、旧作手村(現新城市作手)を縦断する形で本宮山北側に源流を持つ巴川が、この山塊の東側を巡って北西へ流れ、この川は、その中流域にある足助町の市街地をほぼ北側の頂点として、そこからは南西へ向かって流下し、六所山の西側を巡って豊田市と岡崎市との境界で矢作川にそそぐ。六所山、炮烙山の南側には国道301号線がおおむね東西に向かって延びており、大きく湾曲した流路を持つ巴川の左岸側と、国道301号線とに囲まれたおにぎり型の地形の丘陵地帯、およびその南側に隣接する丘陵地帯が今回のサシバの調査対象地域となった。具体的にはおおよそ北緯35度7分から北緯35度1分、東経137度14分から東経137度20分のラインに囲まれた領域の一部である。 前述したように、調査地域全体は比較的標高差のある丘陵地で、谷筋はほぼ例外なく棚田による水田として利用され、耕地に沿って集落が点在する。尾根筋はほとんどがコナラ、アベマキ、アカマツ等を主体とした二次林、もしくは、スギ、ヒノキ等の植林地である。竹林も存在するが規模は大きくはなく、集落付近にはモウソウが、水田付近には手入れもされないままに放置されたマダケやハチクが密生した竹藪になっている。 手入れ云々は別として、こうした植生は、昔ながらの里山の景観でもあろう。集落の維持、つまりは生活圏の維持という観点からは、これ以上の産業的改変は現状では限界にあるものと見受けられる。豊田市自然観察の森周辺とは標高差の有り無し等の地形がかなり異なるが、アカマツ林が多く残存するか、しないか以外には見た目の植生はほとんど同じである。そのアカマツ林も、徐々に松枯れ病によって衰退の傾向にあるように見受けられる。急激な衰退を示していないのは地形によるものなのか、地質によるものなのか、あるいは植生によるものなのか、もっと他の要因によるのかは不明である。アカマツのみならず、生態系全体の保全と回復を考えるのであれば、解明するべきテーマのひとつであるのかも知れない。 − 調査方法とその結果について − 調査は、ラインセンサス法と定点調査法とを併用しつつ実施した。どこにサシバがいるのかという探索にはラインセンサス法を用いて捜し出し、その行動域がどの辺りなのかは、定点調査法を用いてそのエリアを特定した。 ラインセンサス法は、同一ルートを異なる日時に計3回踏査し、確認されたサシバの飛翔跡を地図上に記入した。ルート数は、AからZまでの26本。すべてのルートについて同じ方法で調査を実施するように努めた。しかし、中には通行不能な場所も含まれていたため、代替ルートを設定できない場合には、そのルートの調査を部分的、あるいは全面的に断念した。資料1の表中にもあるように、ルートW、ルートXがこうした場所に相当する。 また、サシバが確認された場所では、その付近のできる限り見通しの良好な場所を選び、定点調査法で行動域の特定に努めた。これは主にラインセンサス実施者が、その終了後に実施したものであるが、別の日時に定点調査だけを実施した場合もある。これは調査実施者の都合と判断による。 調査開始時点では、サシバの生息域がほとんど判明していなかったため、渡来してそれぞれのテリトリーに落ち着き、繁殖活動に入ったと思われる頃に、ほぼ一斉にラインセンサス法で調査を実施し、個体確認を進めると同時に、定点調査法をも実施して棲息域の特定に努めた。その状況は資料として別表に記載したとおりで、一覧表形式にして各ルートごとに簡単に表示した。 調査の第二段階として、確認頻度の高かった棲息域を中心に、ポイントセンサス法にて行動域の収斂に努めながら営巣域の特定をはかった。日時を隔てた数回のポイントセンサス法によって徐々に営巣域が絞り込まれ、これにより、4地点の営巣地が判明した。しかし、度重なる執拗な調査にもかかわらず、ついに巣を確認する事ができなかった地域も2ヶ所ある。餌運び等の繁殖行動が巣立ち頃まで頻繁に確認されたものの、巣を発見することはできなかったのである。とはいえ、ほとんどその核心部を特定した場所についてはこれを営巣地として扱い、繁殖ランクaの地域とした。昨年度から巣の探索を続けている石楠地区と、今年新たに餌運び等が頻繁に確認された野林地区がこれに相当する。 また、餌運び等の繁殖行動が確認されたものの、途中で繁殖を失敗したと推察される地域が2ヶ所あり、これらの地域では営巣域の絞り込みができなかったため、営巣地としては扱わなかった。しかし、今年度は偶然そうであったというにとどまり、毎年度における繁殖の可能性は極めて高いのではないかと推察されるので、これを繁殖ランクbとした。日明地区、林添地区などがそれに該当する。 結果として、全調査域の中でaランク6地点、bランク2地点、計8地点が繁殖域として確認された事になる。他にも繁殖の兆候を窺わせる場所があったが、時間的、人的制約のため、営巣調査には至らなかった。真垣内地区などがこれに相当するのであるが、こうした地点での繁殖行動解明は、今後の課題とさせていただく。 今回の調査から、サシバの行動域は、そのテリトリーに対してかなり局地的で狭いらしい事、また活動領域についても日ごとに変動があるらしい事等が感じとれたが、具体的な資料を得られるには至らなかった。これらの点は、今回の調査に当たって助言を頂いた岩手大学の東 淳樹先生や、NPO法人バードリサーチ代表の植田睦之氏からご指摘をいただいた通りであった。今後は東海地方でのモデルケースとして、行動圏調査を含めた生態調査を、今以上に推進する必要があるように感じられた。 − 営巣木について − 今回確認された巣の営巣木は、全地点ともアカマツであり、他の樹種は含まれなかった。通常、かなりの比率でスギを利用している事例があるが、なぜか今回の調査では確認されなかった。西三河南部の丘陵地ではアカマツが消滅したためか、コナラを営巣木として使用している事例も報告されているが、そうした事を考えると少々特異な印象を受ける。先にも述べたようにアカマツ林は今もなお衰退の一途をたどり、松枯れ病が一時の猛威を奮った頃に比べれば、かなり穏やかになったとはいえ、今なお減少傾向は続いている。こうした傾向にも関わらず、調査区域のサシバがアカマツを主な営巣木として認識しているとするなら、平野部丘陵地のみならず、今後もアカマツの衰退とともに棲息数減少の一途を辿るしかないと思われるのである。この点、今後は果たしてどのような経過を辿るのであろうか。 サシバでもオオタカでもスギを営巣木に選んだ場合には、アカマツに架巣した場合よりも自然崩壊の速度が早く、数年で崩落してしまう事が多いようである。これは樹種ごとに異なる枝の構造によるものと思われ、やや上向きに棚状に枝が出たり、幹が分かれて三叉状になったりしやすいアカマツとは違い、スギではやや下向きに上下不揃いに細い枝が出ることにより、構造的には負荷に耐えにくいためだと考えられる。 今回の調査結果として、営巣木がことごとくアカマツであった事については、その理由は不明である。おそらく偶然の結果だと思われるのであるが、あるいは何かを意味するのであれば、平野部丘陵地からサシバが消えた理由と一脈の関連があるのかもしれない。餌生物の実態解明と共に究明の余地がありそうにも思われ、また、スギにかけられた巣がなぜ確認されなかったのかも興味を引かれる。 − おわりに − 調査は、現在、日本でのサシバ研究の第一人者である岩手大学の東 淳樹先生と、NPO法人バードリサーチ代表の植田睦之氏の助言を得て、現地調査は主にNPO法人愛知生物調査会の諸氏と、他に有志若干名とで実施した。 −以上− |
